清水町貴船神社について

柿田川の豊富な水に着目し、大正七年に大東紡績の前身にあたる東京キャリコが進出してきた際、古くから敷地内に貴船神社の祠が祀られていたことから、同社では毎年祭典を行なってきました。その背景は、繊維(羊毛)の漂白に大量の水を使うため、水の神様を大切にしようとの考えによるものと思われています。

柿田川第二展望台から見る湧水

その後時が経過し、昭和五十年代に清水町では、大東紡績の敷地の一画を都市公園として整備することとして用地を取得しましたが、その際、同社から「貴船神社を残してほしい。」というの申し出があったことから、時の町長関本文義氏を中心に清水町ではこれを受け入れ、神社はそのまま残されて今日に至っています。
なお、祭典は、当初は湧水まつり実行委員会によって行われておりましたが、平成二年に清水町貴船神社奉賛会が発足し、その後は同会で実施しています。